「ジョニィとキスをしたんだ」
カウボーイが言った。
陽射しが強い日だった。それでも穏やかな風が吹いて、レースじゃなければ木陰で休むには最適の日だと思った。
マウンテン・ティムは至極真面目な様子だった。揶揄でもなく、冗談でもなく、本音からそう言ったようで。もちろんそこにはただ快楽を求める軽い動機は存在していない。
「何故俺に言う?」
言いながら、ジャイロは周りに視線をやった。ジョニィはいない。彼は遅れて合流する予定で、まだ戻ってきてはいなかった。
馬の蹄の音もない。
「いけないことだと思ったからさ。君がいやならやめるよ」
大陸を渡り歩く旅人らしい日焼けした精悍な顔は、いかにも意思が強い芯がある男の風格も感じさせる。ジャイロはなぜか急激に喉が渇く奇妙な感覚を覚えた。眩しい太陽の光。彼の茶色の瞳の奥、渦巻く思考すらちりちり焼き付ける。
「どうして俺が?あいつの意思だろ、そんなこと」
再び動かした舌はむくんだように鈍かった。ティムがうっすらと笑みを乗せる。
「…君はわかりにくい奴だな」
「何故」
「ショックを受けても強がるふりを見せない。ずるいな」
「…」
苛々する。
このカウボーイの言葉に翻弄されている気がする。本来なら、ジャイロ・ツェペリという人間はこんな男の言葉などに惑わされることなどないはずなのだ。彼は納得のために行動する男であるし、気高い目的をもってこのレースに参加した。なのに、この動揺は、なんだ?
「…キスして、身体に触ったよ。でも彼は拒まなかった」
ティムは淡々と言った。
19歳のジョッキーの少年、ジョニィ・ジョースター。
幼いころから馬に乗るのがすきで、有名な若手天才ジョッキーだった。ただ、数年前に慢心から下半身不随になるまでは。それで、このレースに回転の謎を突き止めたくて参加した。紛れもなく、ジャイロに追いすがるような形でついてきた。
ジャイロは、知っている。
彼…ジョニィが、朝一番に飲むコーヒーが好きだということや、栗色の髪のはねる位置をいちいち気にしていることだとか。
そしてジャイロが歩けない彼にかわって運んでやったときは照れながらもきちんと「ありがとう」を言うことだとか。皆が知らないようなことも知っている。なぜなら、彼らは共に旅をしているのだから。他愛もない話をしてふざけあったりするし、ささやくような低い声で囁きあったこともある。
「けどそれがなんだっていうんだ」
その言葉は自分に言い聞かせるようだった。
「ショックを受ける?何故俺がそんなことを思わなきゃならない?」
そうだ。
俺は関係ないじゃないか。知ってるからって、なんだっていうんだ。苛々するのは天気のせいさ。こんなにいい天気なのに?じゃあ、何だ?恋してるみたいだ。恋?まさか!
「あんたとジョニィがどうしようと俺には関係ないね。ただ、『そういうこと』するなら俺の目の届かないところでやってくれよ、見たくねえからな」
口が勝手にべらべら動いているのがわかる。俺は本当に俺の意思でしゃべっているだろうか。そうとも!そのとおり!
ふとジャイロがティムを見返すと、彼は笑っても怒ってもいなかった。その代わり、焦燥したみたいな、あきれたようなそんな感情がちらちら見える。
彼がそっと呟く。
「・・・ジャイロ、あんた今どんな気分でそんな台詞言ってるんだ?」
ジャイロはその口調がものすごく気に食わなかったので、
「最高。諸手をあげて祝福してやりたい気分だ」
と言ってやった。
ティムは肩をすくめた。「あんた、ひどい顔してるよ」
だが指摘されても彼は確かめようとせず、むしろもっと不快そうに眉をひそめるだけだった。ティムは苦笑いをした。
「なあ、俺はあんたのこと好きだよ。ジョニィもそうさ」
じゃあ、と言葉を残してカウボーイは颯爽と去っていった。馬に乗った後姿、クールで大人のカウボーイ。落ちてこけろ、と口の中で密かにつぶやく。
あたりはまた静かになる。ジョニィはまだ帰ってくる気配がない。もしかしたら、どこかで落ち合う話でもつけていたのかもしれない。誰かって、もちろんあのカウボーイと?
深呼吸をした。
風といっしょに、太陽に照らされた熱い空気が肺に流れ込んでくる。肩が上下する。もう一度、吸って吐き出して。眉間に手をやると、無意識のうちにかそこには深い皺が刻まれていた。
「問題なんて、」
確認するように呟いた。
全ては事実が重なっただけの話。ジョニィは同行者であり、友人であり…これ以上、まだ何かいうことがあるというのか?
そうだ、俺は十分『納得』しているのではないか?違うか?いや、そうに違いない。息苦しさは幻だ。呼吸を繰り返せば忘れる。静まる波のように、ゆっくりと。
「なにも、問題は、ない。」
陽射しが強い日だった。
ふと見上げると、遠くに見える山が霞んで見える。
天気は申し分なかった。ただ、頭の中だけがどこかおかしく思えた。
所要時間約30分
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